しばらくこれを書く手も止まってましたが、
何をしてたのかと言うと、勉強してました。
専門医試験なるものを受けていました。
普通は医者になって5〜6年目くらい経った頃に
自分の科の専門医試験を受けて、
晴れて○○科専門医として一人前扱いされるようになります。
これはまぁ、ほとんどの医者が受ける専門医試験で、
じょいフルも結婚の前の年に試験を受けました。
そこから先は、超音波専門医とか漢方専門医とかリハビリ専門医とか、
自分の興味とか仕事内容に必要があれば専門医の資格を取ることになります。
どうして大して勤勉でもないじょいフルが
柄にもなく専門医試験を受けようと思ったかと言うと、
外科系の道を選んだじょいフルは、仕事は体を張ってナンボであり、
もしもこの先怪我や病気で半身不随とか片麻痺とかになったとしたら、
診察や手術が出来ない以上、働けなくなってしまう。
そのための保険の意味も込めて、将来どんなことで困るか分からないから、
仕事の幅を広げられるよう、別の世界の専門医も取っておこう。
というのが表向きでカッコいい話で、
実際のところは、主婦業と母業と仕事と、ありがたいことにつつがなく日々を過ごして、
ここらで何かちょっと自分に負荷のかかることをやってみるのもいいんじゃないかと、
久々の勉強をする生活というのも刺激的でいいんじゃないかと、
そういう、興味本位半分の思いつき企画だったわけでもあります。
準備を始めたのが今年の1月。
願書を出すために、症例のレポートが必要なのだけど、
今の仕事ではとても専門医の願書に出せるような症例がなくて、
かれこれもう10年も前に働いていた病院に赴いて
当時のカルテを出してもらいました。
まさか10年後に子育て主婦になった自分が読み返すなんて思いもしていなかったし、
研修医の自分が書いたしゃちほこばったカルテを見るのは
気恥ずかしいと言うか、かたはらいたいと言うか。
ようやく症例をまとめて、願書が無事に受理されたのが5月。
この頃から並行して勉強も始めたわけだけど、
まずは大学病院の向かいの医学書専門の書店行って、
電話帳ほどの厚みのある教科書を買いました。
お値段も一万円超と、主婦の小遣いには痛い出費。
重たい教科書を抱えて、こんなもので勉強するのかと青ざめていたら、
予想は的中というか、予想以上というか、
ほとんど知識も経験もない状態から専門医と呼ばれるレベルまで
知識を付けるには、その電話帳的教科書を読破するしかなく、
それに、臨床の医学雑誌とは違って、
教科書というのは基礎医学から書かれてあります。
基礎だから簡単というわけではなくて、
ミトコンドリア内のエネルギー経路がどうとか
がん抑制細胞のアポトーシスがどうとか、医学書は基礎であればあるほど難しい。
大学では2〜3年の頃に基礎医学を学ぶのだけど、
毎年留年者が一番多いのもその学年でした。
学生の時にしろ、独身の時に受けた専門医試験にしろ、
ひたすら勉強さえしておけばよかった頃とは違って、
今は仕事中の診察の合間か、夜子ども達が寝た後の、
ちょっとした時間を勉強に充てないといけないし、
明日の朝ごはんの用意しとかなくちゃとか、幼稚園で使う小物を作らなくちゃとか、
子育て主婦が勉強をしようとすると、現状はなかなか厳しいのです。
興味本位の思い付きを軽く後悔し始めた頃には、
高い学会費を払って学会員にもなっていたし、
専門医を目指す人が全国から集まるセミナーに泊まりで参加したり、
そのためにブリちゃんに無理を言って子ども達のことを頼んだり、
もうここまで来たら後には引けない状況なっていて、
果たして自分は試験に受かるレベルまで到達するんだろうかという
プレッシャーが日に日に迫ってくる、なかなか刺激的な毎日でした。
嵐も月9も観なくなった頃、試験前最後のセミナーに参加しました。
3日間缶詰めで朝から晩まで講義を聞いて、
夜はビジネスホテルの部屋で一人宿題をするという強化合宿の最終日、
筆記試験の模擬テストで自己採点4割(推定合格ライン6割)いう
笑えない結果で帰って来ました。
笑っても笑ってなくても、
時が経てば試験の日が訪れます。
この頃には興味本位とかいうノリではすっかりなくなって、
ここまでやったことを無駄にするわけにはいかないと
バリバリの受験生の気分で、東京行きの飛行機に乗り込みました。
(続く)
何をしてたのかと言うと、勉強してました。
専門医試験なるものを受けていました。
普通は医者になって5〜6年目くらい経った頃に
自分の科の専門医試験を受けて、
晴れて○○科専門医として一人前扱いされるようになります。
これはまぁ、ほとんどの医者が受ける専門医試験で、
じょいフルも結婚の前の年に試験を受けました。
そこから先は、超音波専門医とか漢方専門医とかリハビリ専門医とか、
自分の興味とか仕事内容に必要があれば専門医の資格を取ることになります。
どうして大して勤勉でもないじょいフルが
柄にもなく専門医試験を受けようと思ったかと言うと、
外科系の道を選んだじょいフルは、仕事は体を張ってナンボであり、
もしもこの先怪我や病気で半身不随とか片麻痺とかになったとしたら、
診察や手術が出来ない以上、働けなくなってしまう。
そのための保険の意味も込めて、将来どんなことで困るか分からないから、
仕事の幅を広げられるよう、別の世界の専門医も取っておこう。
というのが表向きでカッコいい話で、
実際のところは、主婦業と母業と仕事と、ありがたいことにつつがなく日々を過ごして、
ここらで何かちょっと自分に負荷のかかることをやってみるのもいいんじゃないかと、
久々の勉強をする生活というのも刺激的でいいんじゃないかと、
そういう、興味本位半分の思いつき企画だったわけでもあります。
準備を始めたのが今年の1月。
願書を出すために、症例のレポートが必要なのだけど、
今の仕事ではとても専門医の願書に出せるような症例がなくて、
かれこれもう10年も前に働いていた病院に赴いて
当時のカルテを出してもらいました。
まさか10年後に子育て主婦になった自分が読み返すなんて思いもしていなかったし、
研修医の自分が書いたしゃちほこばったカルテを見るのは
気恥ずかしいと言うか、かたはらいたいと言うか。
ようやく症例をまとめて、願書が無事に受理されたのが5月。
この頃から並行して勉強も始めたわけだけど、
まずは大学病院の向かいの医学書専門の書店行って、
電話帳ほどの厚みのある教科書を買いました。
お値段も一万円超と、主婦の小遣いには痛い出費。
重たい教科書を抱えて、こんなもので勉強するのかと青ざめていたら、
予想は的中というか、予想以上というか、
ほとんど知識も経験もない状態から専門医と呼ばれるレベルまで
知識を付けるには、その電話帳的教科書を読破するしかなく、
それに、臨床の医学雑誌とは違って、
教科書というのは基礎医学から書かれてあります。
基礎だから簡単というわけではなくて、
ミトコンドリア内のエネルギー経路がどうとか
がん抑制細胞のアポトーシスがどうとか、医学書は基礎であればあるほど難しい。
大学では2〜3年の頃に基礎医学を学ぶのだけど、
毎年留年者が一番多いのもその学年でした。
学生の時にしろ、独身の時に受けた専門医試験にしろ、
ひたすら勉強さえしておけばよかった頃とは違って、
今は仕事中の診察の合間か、夜子ども達が寝た後の、
ちょっとした時間を勉強に充てないといけないし、
明日の朝ごはんの用意しとかなくちゃとか、幼稚園で使う小物を作らなくちゃとか、
子育て主婦が勉強をしようとすると、現状はなかなか厳しいのです。
興味本位の思い付きを軽く後悔し始めた頃には、
高い学会費を払って学会員にもなっていたし、
専門医を目指す人が全国から集まるセミナーに泊まりで参加したり、
そのためにブリちゃんに無理を言って子ども達のことを頼んだり、
もうここまで来たら後には引けない状況なっていて、
果たして自分は試験に受かるレベルまで到達するんだろうかという
プレッシャーが日に日に迫ってくる、なかなか刺激的な毎日でした。
嵐も月9も観なくなった頃、試験前最後のセミナーに参加しました。
3日間缶詰めで朝から晩まで講義を聞いて、
夜はビジネスホテルの部屋で一人宿題をするという強化合宿の最終日、
筆記試験の模擬テストで自己採点4割(推定合格ライン6割)いう
笑えない結果で帰って来ました。
笑っても笑ってなくても、
時が経てば試験の日が訪れます。
この頃には興味本位とかいうノリではすっかりなくなって、
ここまでやったことを無駄にするわけにはいかないと
バリバリの受験生の気分で、東京行きの飛行機に乗り込みました。
(続く)