京都生活の終わり頃、ブリちゃんとリンスケと3人で(あの頃はまだ3人だった!)
自転車で詩仙堂に行っていた時のこと。
お庭を歩き終わって山門を出たところで、倉敷の不動産屋さんから電話が掛かってきて、
「どうしますかっ?この立地だとすぐ埋まりますよっ」と
自信満々に急かされて、物件も見ないままその場で契約を決めたのが、今の家でした。
じょいフルの実家からけっこう近くて、
後になって、ここなら小学校も同じ学区かと気が付いたけど、
その時は、これからの倉敷での生活とか、リンスケの幼稚園が始まることとか、
赤ちゃんが生まれることとかで頭がいっぱいで、
リンスケがいずれ、じょいフルと同じ小学校に入学することなんて、
遠過ぎる先の話で、イメージさえしていないことでした。
それからの短かったようで長かった3年の間に、
ブリちゃんは自分で事務所を構えて仕事を始めて、
じょいフルは予想外に2人も赤ちゃんを産んで、
リンスケは無事に幼稚園を修了しました。
あのリンスケがもう小学生か、と感慨深くその日を迎えるのかと思いきや、
入学までにしないといけない縫い物が想定外に多かったり、
白いスニーカーだの、予備用の子どもマスクだの、巾着袋のヒモだの、
足りないものがあることに気が付いては、走り回る子ども2人と
首の据わらない赤ん坊を抱えて買いに行かないといけなかったり。
リンスケが無事に、規定の身なりで、規定の持ち物を持って、
規定の時間に学校に通えるようになるよう設えるのに必死で、
リンスケの小学校が始まることに
本人よりじょいフルの方が緊張していたくらいでした。
リンスケの入学式で、背の低い下駄箱と
そういえば見慣れた中庭の池を見てようやく、
リンスケの入学式に来るということは
自分の小学校に20年以上ぶりに入ることだったと気が付きました。
式では在校生が校歌を歌ってくれて、リンスケは初めて聞くそれを、
じょいフルは懐かしいなーと思いながら一緒に口ずさんできました。
実家の近くに住むということは、親に子どものことを頼めたり、
一緒にごはんを食べたり遊べたり出来る以外にも、
自分が育ったのと同じ場所で、子どもが成長するということでもありました。
我が子の小学校入学は緊張するものだけど、
じょいフルが6年を過ごしたのと同じ校舎で授業を受けて
同じ校庭で朝礼に立って、同じ給食室の給食を食べるのだと思えば、
リンスケの小学校生活そのものは、まぁ大丈夫なんじゃないかと、
お任せしたらいいんじゃないかと、思えるような気がします。